産前スタディと里帰りとコロナ

お皿洗いの時たまにお湯を使うようになった、すら子です。

結構ギリギリまでお湯使うのは我慢してる派だったんですが、最近朝とかすごい寒い時があって、たまらずお湯を出すようになりました。

冬に近づいてるなぁ〜と感じています。


それでは前回のつづきですね。



まずは産前スタディ

出産でお世話になる病院で行われていたので、事前予約をして受けてきました。


インスタやらネット検索で、陣痛と出産は辛いし痛いっていう予備知識だけは異常にいれていたのですが、頑張るしかないもんなぁと思ってはいて。


でも、ここで実際の出産当日の1日のビデオを陣痛〜生まれるところまでを見て、ビビり。なんなら直視できなかったです。笑



出産のふんわりとした想像はできていたけど、具体的なイメージができてなかったからだなぁ。


でも、不思議と怖いとか不安っていう気持ちはなくて、やるしかないし、赤ちゃんに早く会いたい楽しみと自分がどれだけ耐えられるのかっていう挑戦的な気持ちの方が大きくなっていました。



ビデオを見た後は、7キロの重りをつけた妊婦体験をすら夫にしっかりしてもらい、陣痛が来たとき〜産むまでの呼吸方法やその時のすら夫が行うケアの仕方などを勉強してきました。



いよいよなんだなぁ〜とワクワクしましたね。




そしていよいよ里帰り!!




私が里帰りを始めたのは、3月頭からでした。
ちょうどコロナが騒がれ始めていた時でもあったかなと思います。



マスク買い占めやら自粛生活やらで本当大変でしたよね。まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった、、。
そしてもしコロナになっちゃったらどうしようと不安もあったけど、そもそもお腹も大きくて外に出るのも大変だったので、犬の散歩と病院くらいしか行かなかったかな。



ご飯の買い物も料理も全部甘えまくっていたので、そういう外出もしなくて良かったのは、とても助かりました。





あとは、スタイや抱っこ紐のよだれカバーなど手縫いで暇つぶしも兼ねて作って、ずっと寝てました笑
ほーーんと眠くなるんですよね。
胎動も結構ズシズシくることが多くて、歩いたり動くのも少しするだけで疲れて横になってました。笑




そんな中、いつものように1週間に1回の健診に行くと、、、




つづく。

4Dエコー

ジャンボリミッキーに日々助けられてる、すら子です。



ミルクもおむつ他色々試しても泣き止まないとき、ジャンボリミッキーを流すとあら不思議!
泣き止むどころか笑うんですよねぇ




いつまでこれが武器になるかわからないけれど、、




さて今回は4Dエコーについて!




これまで家近くの病院に健診通いしていましたが、出産日が近づくにつれて、実家近くの病院に通うようになっていました。



というのも、里帰り出産を希望したからです。
今の家から電車で1時間くらいということもあり、日帰りで行ったり、ついでに実家に泊まったりして通っていました。





そして、いよいよ4Dエコーができる週数に!
今まで白黒写真だったのが、立体的にリアルに映るっていうので、早くやりたいなぁとずっとワクワクしてました^^



この日はすら夫にも休みをとってもらい、一緒に病院へ!



いざ見てみると、ちびすらの顔が私の方を向いていてなかなかお顔が拝めず、、



でも先生が優しい方で、私の体制を変えたりカメラの当てる位置を変えたりと時間をかけて顔が向くまで待ってくれていました。




すると、ようやく顔が!!!!




しっかり顔のパーツも見えて、こんなに分かるんだとびっくり!動いているのも映像で分かるので、胎動と連動して動いているのを見て、こうやって動いてるんだ〜と分かって楽しかったです。



見ていると、大きなあくびも見せてくれて、これがすら夫にまぁそっくり!!
すら夫似に確定された瞬間でした。





これにはすら夫も嬉しかったようで、この日からわざとあくび顔を見せてくるようになったり笑





ここでは写真と、映像ももらうことができたので、毎日のように見てましたね。






正直、雑誌やSNSで他の人のエコー写真を見て、感動はしても、可愛さがイマイチよく分からず、、だったのですが。





そりゃ自分の子は可愛く見えますよね、ということが今回よく分かりました笑





(ちなみに産まれた顔は4Dエコーの顔のまんま!あくび顔もそのまんま!で感動)






次は里帰りと病院で行っている産前スタディについて。






つづく。

時々つわりの日々

急に冷麺が食べたくなった、すら子です。
前に友達に教えてもらって、家で初めて冷麺作って食べた夏。


もう季節的に売ってないかなぁと思ったらまだあった!1年中売ってるものなのかな?
なかなかに辛くて美味しかったです。





それではつづきへ。
その後健診も順調に進んでいて、妊娠3ヶ月〜4ヶ月辺り、それはやってきました。





そう!つわり!!




正直それまでが平気すぎて、「あれ、私ないタイプかなぁ」なんて少し油断してたらすこーしずつ姿を表してきました。




1番辛かったのは吐き気と車酔いみたいな気持ち悪さが、頭と胸?胃?あたりを刺激してくるかんじで。





幸い、倒れてしまうほどとか1日中動けない日々が続くとかいったところまではなかったのですが、そりゃ辛い日は辛い。





朝、パート行く時間に急な吐き気でトイレへ駆け込み、喋れないほどの気持ち悪さで、その時まだたまたま家にいたすら夫に、職場に電話入れてもらったことは今でも忘れません。笑




つわりが起こる条件とかは特になく、急に来ることがほとんどでしたが、友達と出掛けた時に人混みがあってダウンしたことはありましたね。
人混みやらたくさん歩いたりすることは、いつもならへっちゃらですが。




辛いときは、食べたいものも限られてくるのですが、よく聞く、無性に食べたくなるもの!




この時の私には、たべっこどうぶつが味方で、本当に本当にいつも以上に美味しかった!






それを聞いたすら夫母もたくさん買ってくれたり、私の実家に行けば買い置きしてありました。




それからは、「たべっこどうぶつが好きな人」に認定されたのか、今でもたまに買ってあって面白いです。





つわり自体は5ヶ月なる頃には落ち着いて、疲れやすくなるとか眠くなるとかはずーっとありましたが、つわりで具合が悪くなることはなくなりました。




本当に辛いときっとこんなこと思ってられる余裕はなかったかもしれないけれど、つわりは赤ちゃんが元気な証拠という言葉を信じて前向きに耐えていられました。





つづく。

健診と母子手帳

ちびすら初めての耳鼻科デビューにドキドキした、すら子です。

鼻詰まりすごくて夜寝にくそうなんで、小児科かガチガチに悩みながら専門器具とかで色々やってくれそうな、耳鼻科へ。

あの吸い取るやつ、すごいのね。
まだあるんか?!っていうくらい出てきて、見てるこっちがスッキリしました笑


さて、初めての健診について!




不妊治療の時とは変わって、家からも通いやすい病院にこの日から通うことになりました。


しかし、ここ、以前流産が発覚した病院。
(前も近くて通ってたから当たり前だけど)
通う病院を決める時、ちょっと悩んでしまいましたが、やっぱり通いやすいこともあり、またお世話になることに。



受付を済ませて、体重・血圧測定・尿検査
これが毎回受付を済ませた後、診察に呼ばれるまで行っておくことだと教えてもらい、説明書やらみながら済ませます。



体重を測った時に、毎回薄着で行こう、とこの時決めました。笑




しばらくすると呼ばれて、診察室へ。



内診をしてもらうと、前回から数週間しか経っていないのに既に形になってることに驚き!
まさにクリオネみたいで、そこにドラえもんみたいな手がついていた笑




もうこの時点でかなりかわいい。
こっからどんどん人になっていくんだなぁ不思議だなぁ〜〜ってこの時はただひたすらに感動してたかな。




エコー写真をもらって、次は4週間後ね、と。
4週間後、、1ヶ月後かぁ〜〜とまた不安!
お腹が出ているわけでもないし、まだつわりもなかったので、身体になんの変化も感じないのが逆にこわかったです。






そして帰り際に、もう母子手帳ももらっておいてね!健診になるから!と。






あれ?これ健診じゃなかったんだっけ?
でもたしかにまだ手帳もらってない、、と思いながら診察室出ると、受付の人から説明があり。
どうやら、母子手帳をもらう時に健診票をもらうので、次からはそれと一緒に出すとのこと。




てことは、今回は確認的なかんじだったのかな?
まぁいっか!てな感じで、この帰りに母子手帳を受け取りに行きました。




実は、不妊治療の病院ラストの日、母子手帳もらってもいいとは聞いていたんです。が、なかなか勇気が出ず。



もらった後にまた悪いことが起きたら、それこそ立ち直れない気がする、、と考えすぎてしまい。



でも次からは健診も始まるし、ということで、本当はとっても早くほしかった母子手帳をもらいに行きました。




分厚い冊子をもらったり、説明を受けたりして、現物を手にしました。6歳まで使うんだってこの時初めて知ったんです。




この手帳と一緒に成長していけたらいいなぁなんて思いながら、自分の名前を書く手は少し震えていて。





「子の名前」


のところには、どんな名前が入ることになるのかなぁ〜と見るたびにワクワクし、この手帳が、「ちゃんとお腹に赤ちゃんがいるんだよ」と実感させてくれていました。




つづく。

2回目の陽性発覚

お誕生日にもらったお花(3ヶ月間、今流行のサブスク?で週一で送られてくる)が、毎回いいかんじのドライフラワーになって嬉しい、すら子です。



ちびすらが大きくなったら、
「産まれた年の誕生日にもらったお花なんだよ〜」
って見せるんだー!




さぁ少し遠回りしましたが、話は戻って陽性を確認できた時ですね。



この頃は、とりあえずちょっと体調がいつもと違うなぁ?とか気になったらすぐに検査薬してました。
で、まぁ毎回「ですよねぇ〜」ってかんじで陰性結果を目にしてたんです。
毎回期待しすぎるのも疲れちゃうからね。



この日もそんなかんじで、「一応ね、」って自分に言い聞かせながらやってみた日のことでした。



実際目にした時は嬉しさの前に、びっくりしちゃったのと、え?ほんとだよね?なんかミスってなっちゃった?と、なかなか信じられませんでした。
また、前回の流産のこともあったので、すら夫にも悲しい思いをさせない為にも、次の日もう一回検査薬をしてみて、病院に行ってから伝えようと決めました。




次の日もしっかり検査薬で陽性が見れたので、その後病院へ。
内診をしてもらうと、見覚えのある白い丸が。






「しっかり、いますね。問題もないですよ。おめでとうございます!」






ここでやっと安心感と嬉しさを実感できた気がしました。
でも、もちろん、ここからがスタートだ、油断しちゃいけないよと自分に言い聞かせてる気持ちの方が大きかったかなと思います。




帰ってから、エコー写真と検査薬を箱に入れてすら夫に渡しました。




反応は、すら夫も同じ気持ちだったのか喜びももちろんあったけれど、「ほんとに?大丈夫かな、、」と不安と油断できない気持ちが大きかったように見えました。




数日後。
一緒にもう一度病院へ行き、あの日できなかった赤ちゃんの確認を2人で。

ちょうど前回流産した時と同じ週数だったこともあって、名前呼ばれるまで妊活中に買ったお守りを握りしめていました。




呼ばれて、内診室へ。
「お願い生きていて」と、もう神頼み、、、




小さいけれど、しっかり心拍が動いているのが見えて、泣きそうなくらい感動しました。




そして、ここでの病院通いはここを最後に、次回からは自宅から近い婦人科のある病院への通院が決まりました。



いわゆる、初めての妊婦健診ですね。
これについては次回に。






つづく。

稽留流産〈手術〉のこと

RPG系は最初こそ気合が入るものの、毎回最後までクリアできない、すら子です。
少し前ですがタイトル変わりました。
名前のとおり。そう、あのゲームです。
パルプンテ」=「なにが起こるか分からない」
呪文のことです。
1日なにが起きるか分からないけど、今日もちびすらとゆるーく過ごそうと思います。


では暗い話続きでごめんなさいですが、つづきを。

結婚式2日後、朝からすら夫と病院に行きました。
そう、手術当日です。


大きな怪我や病気もしたことがない私、「手術」なんて今まで縁もなく、注射でビビってるくらいです。
もうこの言葉だけで不安と緊張しかありませんでしたね。


日帰り手術ということで、特に大きな荷物などはなく向かいました。


着くと、もう一度内診して最後の確認を。


前の診断後ネット検索すると、「稽留流産と診断された数日後、また動いてた!」なんて話も見てたりして、少しばかり期待もしてましたが、そんなうまくはいかないよね、と現実を突きつけられました。


その後、目の前に来る車いす
特に私は体調も良く体は元気だったので
「えっ大丈夫ですよ!」
と言うものの、「一応決まりなので…」と申し訳なさそうに言う看護師さんの言う通りに。



病室に運ばれると、病院着?に着替えて待機でした。

途中途中、手術の為の処置があり、本手術が始まるまでには長引きそうだったので、すら夫には外出してもらってました。


正直に言うと、この途中の処置が私は1番辛かったです。すごく、痛かった。(びびらせるつもりはないんですが、ごめんなさい)
もう、はやく楽にしてくれ、、と思うくらいには辛くて、また病室で待機でした。



1人で寝ていると、向かい側の方と看護師さんの声が聞こえてきました。



「もう、お腹に赤ちゃんはいないんですよね」と。



泣きながら話すその声がすごく今でも鮮明に残っています。



それを聞いた瞬間、涙がとまらなかった。
不安だからなのか、痛いからなのか、悲しいからなのか。

一瞬にしてもう全部が辛くなってしまって、全部全部受け入れなきゃと思っていたけれど、声を抑えて泣いてしまいました。


今回心細くて一緒に居て欲しい、と一緒に来てもらっていましたが、この時だけは、すら夫が居なくてよかった、と思います。


泣いているその姿を見られたくなかったというよりは、手術前の最後、ちゃんと1人で泣いて受け入れる時間があったことが、私にとってはよかったのかなと思っています。



その後、手術室へ。



全身麻酔ということで、注射を打たれて、看護師さんと一緒に声に出して数を数えます。




赤ちゃんに「ごめんね、とお腹に来てくれてありがとう。」を胸に私は麻酔で目を閉じました。




意識は全くなかったけれど、なんとなくずーっと頭の中がグルグルしていて、長いグネグネした狭いトンネルの中?をずっと這って進んでいくような、そんなかんじ。




どーにかして目が開くと、もう病室に寝ていて、目の前にはすら夫が。


「起きたかー?」とほっぺをペチペチ叩かれていました笑


よくドラマでみる、あのかんじ。
あ、ほんとにこんな感じでぼやーっと気がつくんだ〜と呑気に考えながらぼーっとしてました。


起きてすぐは本当に力が入らなくて、ぼーっとしてて、すら夫曰く焦点も合っていなかったみたいです。


少し経つと、喋ったり体も動くようになって、ようやく現実に戻ったみたいな感じでした。



そこでやっとまた涙が。
次は無事終わった安心と虚無感と。





色々と落ち着いて、電車に乗って帰りました。

(この後、電車乗ってる間にお腹?子宮?が痛くなりすぎて、車いすで運ばれ、駅員室で休みました。無理せずもう少し病院で休めばよかった。)



家族も友達も本当に心配してくれていて、でもこの時だけは、一言二言くれた後はいい距離を置いてくれていて、有り難かったです。



この時来てくれてた子は、今のちびすらだったのか。
違う子だったのか。本当のことは分かりませんが、
ちびすらにもいつかお話できたらいいな!





妊娠たったの7週だったけれど、たしかにあの時お腹には命があって。
すごい幸せな時間をもらえました。




ありがとうね〜〜
と、伝わってたらいいな。





この話はこれで、
おしまい。





これからはまた、ちびすらが生まれるまでを!



つづく。

稽留流産のこと

少しさぼってました、すら子です。
もう少し更新頻度上げられるようにがんばります。
周りの友達は転職活動したり資格取ったり、新しい目標を掲げてて本当尊敬する。
私も行動力もっとつけなきゃ(って言うだけ)


さて、前回のつづきですね。
タイミング療法の不妊治療をして、約半年で妊娠できました。とっても嬉しかったですそりゃあ。

ですが実は、2回目の妊娠だったんです。

この1年前に初めての妊娠をしていました。
その時のことを。


初めての妊娠が分かったのは、結婚してすぐの時のことでした。
特になにか症状があったとかではなかったのですが、なんとなーく予感がして、検査薬をしてみたら陽性でした。この時ももちろん女の子の日は不順のままで、特に治療もしてなく、本当に自然妊娠だったんです。

すーごい嬉しくて、でも病院行ってちゃんと分かってからすら夫に伝えよう!びっくりさせてやろう!と思って、そわそわしながらその日は寝ました。


次の日、「ちょっと買い物行ってくるね〜」なんて言って朝一で病院へ。

まだまだ白い丸だし、週数にしてみれば3週とかでしたが、しっかり赤ちゃんはそこにいました。

感動で涙して、初めてのエコー写真に興奮しつつ、100均で便箋を買って、カフェで手紙をかきました。

帰ると、まだ寝てるすら夫。

「ねーねー、手紙きてたよ〜」なんて言って、エコー写真が入った手紙を渡しました。
寝ぼけて「なに〜〜」なんて言いながら写真を見て、


「え?」「できたの?」
「うん」
「うそ?・・ほんと??」「やったじゃーん!!!」
泣きながらハグしました。


治療はしていなかったけれど、不順ではあったからいつできるか分からないよ、なんて話していた矢先だったので本当に嬉しかったのを覚えています。

その3週間後結婚式も控えていたので、こんな幸せでいいのかと思うくらい幸せでした。


式は地元に帰って挙げる予定だったので、式の2日前に、すら夫と一緒に健診に行きました。




そこで分かったのが、稽留流産でした。
これは、母体に全く症状もなく、赤ちゃんの心臓が止まってしまっているものです。



もう本当に目の前は真っ暗で。
え?まさかね?こんなことってある?って。
しっかり説明してもらってるうちに、現実なんだなぁって分かった途端涙が止まりませんでした。



あなたのせいじゃないよ。
ましてや赤ちゃんのせいでもない。



そうなのかもしれないけど、そういうことじゃなくて。もうただただ悲しくて、なんでだろう?って気持ちにしかなれませんでした。


その後は淡々と手術日を決め、結婚式を終えた2日後に手術を行なってひと段落という形でした。
稽留流産の場合は、自然に出ていくまで待つという選択肢もありましたが、私は手術の方を選びました。)


もう色々とありすぎて、夢だったのかな?と思うくらい目まぐるしくて。


妊娠が分かった時、結婚式のドレスを緩めに着たいからとギリギリでサイズ変更してもらったり、料理を変えてもらったりしてたのを、「流産しました」で直前で元に戻すこともできず、


「サイズ大きいままだなぁ」


なんて思いながらドレス着てたり。



書き始めたらキリがないですが、本当にこの時はあっという間でしたね。


と、まぁ色々割愛してしまいましたがこんなことがあったんです。


この時運良く自然に授かれたからこそ、不妊治療という決断もすぐには考えられなかったんだろうなぁ。
「次もできるはず!」って。奇跡なのにね。



この後、身体的にも気持ち的にも少し休みたかったのもあり、落ち着いた後「また頑張りたい。ほしい!」と思えたので前の話に繋がって行ったかんじです。


この時のことは色々あってなかなかうまく書けないですが、ざざーっとこんなかんじでした。




備忘録として手術の時のこともすこーし書き残しておきたいなぁと思ったので、次に繋いでいこうと思います。
暗い話が続いてごめんなさい。
もう少しお付き合い下さいませ。


つづく。